宇野常寛氏の気苦労

宇野氏がテレビ番組の「スッキリ」の週間コメンテーターを降板させられたそう。

降板の原因は、番組内での宇野氏の発言に対する右翼団体からの抗議。

取り沙汰されている発言があった2017年1月の番組で報道内容は以下の通り。

ーーアパホテル(有名なホテルらしいが、私は田舎住みなのでよく知らない)というホテルの社長である元谷芙美子氏(もとやふみこ)の夫である元谷外志雄氏(としお)が南京大虐殺の存在を否定する書籍を出版し、その本がアパホテルの客室に置かれていたーー

この報道に対し宇野氏が「歴史修正主義的で、陰謀史観的だ」という批判を行ったことで、右翼の人からの抗議が集まったそうです。

 

 

うーん、宇野さんも大変だなあ、ってため息が出ますね。

 

宇野氏が多少きわどい発言を繰り返していることは私の知るところですし、もしかすると私の知らないところで、宇野氏が本当にアカンこと(差別や嘘や誹謗中傷など)を言った過去もあるのかもしれません。

 

ですが、いま問題視されている発言は歴史的に正しいし、アカンくないし、そもそも問題ですらないですよね?こんな些事が端緒となって降板を余儀なくされるなんて、馬鹿馬鹿しいです。宇野氏もある程度は、発言内容を自制して叩かれまいと気苦労を重ねていたでしょうから、このタイミングでの降板は納得できないだろうなあ。だってたかがアパホテルですよ?直接政治批判しての降板のほうが格好がつくよ。

 

 

私はたぶん文化左翼とか揶揄される人種で、ネットで私の周りにいる人たちは、今回の騒動を受けて右翼やテレビへの悪口や批判に熱心になっていますが、ここより下では私の所感を述べます。

 

まず私はテレビに期待も絶望もしていません。国民の99%が見ているメディアなんてあまりに通俗的すぎるんだから、欠点のほうが多いに決まっています。それにスッキリはニュースを伝えてはいるけれど、根本は単なるエンタメ番組ですよ?スッキリに対して変な期待(特定団体の圧力に屈するな、とか、報道に関してテレビ局の自立性を守れ、とかいう期待)をするのは、番組の重荷になるばかりであり、そんな期待も裏切られるに決まっているんです。スッキリという番組や、番組の担当者、日テレを批判してばかりいるのは、木を見て森を見ずです。

 

次にですね、テレビのコメンテーターというものは大方、学識がほとんどない人か(そういう人はたいがい過激な発言をする)、あるいは権力の顔色を窺ってばかりの人なのだと、個人的には思っています。まあ、この分類は独断的だから置いておくことにしますが、そうは言っても平均以上に利口な視聴者はみんな知っているでしょう。タレントコメンテーターは何も学術的根拠のないことをいっているだということを。よくあるように「○○大学△△教授」というテロップが画面の下のほうに表示されていたとしてもその教授の意見が必ずしも正しいとは言えないということを。その点、私は宇野氏を評価しています。知的で合理的でアカデミック過ぎず、多少きわどいことを言いますが比較的には品がいいからです。

 

昨今、インターネットの発達が目覚ましいですね。「ネットこそすべてを変えるんだ」みたいな楽天的なことを言ってる人もいます。しかしテレビというメディアは、依然として国民に対して最も強力な影響力をもっています。ネットを自由に使いこなせる年齢層は、主に10代後半から30代前半であり、案外狭いのです。はてなを読みに来れるくらいネットに通じた人たちには理解しがたいでしょうが、「ゆーちゅーぶ」と「ぐーぐる」の違いが判然としない人たちだって居るのです。(ざっと見て日本人口の半分、6千万人くらいな気がします)つまりネットの普及率は、ネット民が思うほど高くないのです。

 

 

だからこそ、テレビという大衆的メディアの中で、賢明な意見を語ることのできる識者は本当に重要な存在なんです。宇野氏のように知的でありながらアカデミックでありすぎない発言ができるタイプが(こういうタイプは非常に少ない)、降板させられることは私としても非常に遺憾です。テレビにおける宇野氏の積極的な発言が見られなくなってしまうことで、日本の知的水準はまた一段階下がってしまうはずです。

偏っていてしかも間違っている考えをもった人々は、どの国のどの時代にも必ずいます。現代日本の場合はそういう人々とテレビメディアの醜い癒着が解消されることは、当面はありえないでしょうし、むしろこれから何かの拍子で癒着が強化されるかもしれません。少なくとも、今回の騒動がテレビメディアの欠陥を糾弾してその在り方を変化させていくということはないでしょう。ネットの影響力も、ネットを主戦場の一つとする宇野氏の発言力も、テレビのそれらと比較すると微々たるものだからです。テレビは兄弟なんです。

 

ふう。

 

結局、私はこう思います。この騒動によって、テレビをのほほんと享受しているだけの層のうち一握りの人でもいいから、テレビを批判的にみること(テレビを見るなといいたいのではないです)ができるようになればいいな。

そうなれば宇野氏の気苦労も少しは報われるのかな。